私が社長になる! 選択肢は起業だけじゃない
いつかは自分の会社を経営したいと思っていても、継ぐべき家業がなければ、従業員として出世を地道に重ねるか、もしくはゼロから起業するか。これまでは、それくらいしか方法はなかった。
ところが、意外とチャンスが広がっているのが、今の日本かもしれない。中小企業の後継者不足が深刻化する中で、優れた商品やサービスを持っているにもかかわらず後継者がいない中小企業の社長になる仕組みが整ってきたからだ。
日本が誇る多種多様な中小企業の中から、自らに適した会社を承継していく。こうした新しい社長への道に、魅力を感じる人が増えている。
プロ経営者を目指す若者を「サーチファンド」がバックアップ
福岡県北九州市に本社を構える塩見組。1955年に創業し、建築物を支える大型の基礎くい打ち工事を手がけるこの中小企業で、急ピッチの経営改革が進んでいる。賃料負担を軽くするため、本社を移転させるとともに、稼働していなかった機械を売却するなどして、財務基盤を安定化。同時に、老朽化した建築物が増加することで堅調な需要が見込めるとして、くい抜き分野への参入を決めた。
塩見組の指揮をとるのが、2020年2月に社長に就任した渡辺謙次さんだ。ビジネススクールの名門米バブソン大でMBA(経営学修士号)を取得した経歴を持つ。
現在、40歳になる渡辺さんは大学卒業後、父親が営む印刷会社で働いていた。業界の先行きに漠然とした不安もあり、なんとなく英語試験のTOEICを受けてはみたものの惨敗。帰り道に立ち寄った本屋でMBAの参考図書を見つけたのを機に、一念発起して米国への留学を決意し、猛勉強を始めた。現地で世界中の優秀な学生に囲まれて過ごすうちに、実家とは別の企業を経営したいという思いを募らせるようになった。
東京出身で北九州には縁もゆかりもなく、建設業の経験もない。そんな渡辺さんを塩見組に結びつけたのが、サーチファンドに挑む起業家を支援するJaSFAだった。サーチファンドとは、経営したいと思う企業をサーチ(=探す)して、投資家の支援を受けてファンドを設けて買収。実際に自ら経営して、企業価値を向上させる米国発の投資手法だ。
渡辺さんは帰国後、JaSFAのセミナーをたまたま知り、早速アプローチした。JaSFAと提携する山口フィナンシャグループ(FG)から、買収先候補として10社前後の紹介を受けた。
現地視察や経営者との面談を重ねる中で、「経営改善のアイデアがすぐに浮かび、自分のバリューを発揮できると感じた」(渡辺さん)のが、塩見組だった。くい打ち工事で必要になる資格を取得したり、インターンシップとして働いて会社の内情を確かめたりして、社長の大役を担うことを決心した。JaSFAと山口FGが共同で設立したファンドから資金協力を得て、特別目的会社をつくり、塩見組の全株式を取得した。
起業するには、製品開発や人材獲得、販売先の開拓などすべてゼロから始めなければならない。これに対し、渡辺さんは塩見組の既存の経営資源を利用しながら、経営業に乗り出すことができた。サーチファンドという仕組みのおかげで、個人的な資金負担は大幅に軽くなった。
塩見組で実績を残し、ゆくゆくはプロ経営者の仲間入りを果たし、より大きな企業を率いることを目標に見据える渡辺さん。「起業というとIT関連を目指す人が多いが、経営者になるには中小企業を承継するという選択肢があることを知ってほしい」と語る。
米国では、サーチファンドはMBA取得者が経営者になる第一歩として広く認知されている。日本でも、野村ホールディングスがサーチファンドへの投資を目的とする事業承継ファンドを発足させるなど、関連する動きが広がっている。
「後継者人材バンク」は地域の身近な企業と“縁結び”
一方、経営候補先として地域の身近な企業を紹介しているのが、各都道府県に置かれている「事業承継・引継ぎ支援センター」で展開している「後継者人材バンク」だ。
事業承継・引継ぎ支援センターには日頃、後継者難に悩む経営者からの相談が数多く寄せられている。後継者さえ決まれば、事業を今後も十分にやっていけるという状態の企業は少なくない。相性や適性などを考慮したうえで、後継者人材バンクに登録した人に引継ぎを打診している。町工場や地域の飲食店、小売店など、民間のM&A仲介会社ではあまり取り扱われない規模の小さい企業が、相手先になることもしばしばある。
実際に事業を承継しようとすると、契約書の締結や登記などの手続きから、資金確保に至るまで、やらなければいけないことは目白押しとなる。事業承継・引継ぎ支援センターでは、地域金融機関や弁護士・税理士などの専門家、創業支援機関などと連携し、手厚くサポートしているのも、経営経験のない人にとっては心強い。
2014年度に始まった後継者人材バンクは、登録者数は2021年3月末には累計4000人を突破、事業を引き継いだ件数は累計130件を超え、年々増加している。起業を夢見る若者や、脱サラしての独立、UターンやIターン希望者など、幅広い年代の人が経営者としての人生をスタートさせている。