政策特集文化と経済の好循環の創出~経産省が文化経済政策に取り組む意義 vol.1

なぜ文化経済政策が必要なのか

 文化と経済政策はかつて距離があったが、近年、その関係は変わりつつある。多くの国で文化を経済政策に位置づけたり、企業がアートを研修に取り入れたりする動きが目立ち始めている。
 文化と経済の接近の背景にあるのは価値観の多様化や不確実性の増大、テクノロジーの進展による「人間らしさ」の見直しだろう。答えのない時代に生き残るには創造力が求められ、その源泉となる文化の力を企業が再評価する機運が高まる。
 4月の政策特集では「文化と経済の好循環の創出」をテーマに経済産業省が文化経済政策に取り組む意義に迫る。文化と経済政策をどう位置づけるか。初回はなぜ文化経済政策が必要かについて見ていく。

文化が経済成長のエンジンに

 「クールジャパン」という言葉を聞いて何を想像するだろうか。
 マンガやゲーム、アニメなどをイメージする人が大半かもしれないが、和食や着物を思い浮かべる人もいるだろう。
 クールジャパンが広まるきっかけは2002年に外交専門誌に載った一本の記事だった。アメリカ人ジャーナリストのダグラス・マッグレイが日本はポップカルチャーを成長のドライブにして日本が文化大国になったと論じ、日本発のアニメやゲームが熱い視線を集めた。それまで、経済政策とは決して近い距離にはなかったコンテンツ産業への産官学の関心も高まった。日本発の文化を発信し、海外に輸出し、産業としての発展を促す政策も打ち出された。クールジャパン政策だ。日本において文化が経済成長のエンジンに位置づけられるようになる大きな転換点でもあった。
 それから約20年。世界を見渡すと文化と経済の距離はより近くなっている。2021年7月にイタリアで開かれたG20文化大臣会合では文化を経済復興の主要なエンジンであると宣言した。
 海外ではアートが資産運用のひとつとしても取引されており、富裕層の関心も高い。高額なアートのレンタルや、1万円から共同所有して、その権利を売買できるモデルなど裾野も広がる。新しい地域資源をアートやデザインを使って生み出し、地域の活性化や観光需要獲得を実現する例もでてきている。近年は文化を生み出す経済価値を示す手段として文化GDPという考えた方も生まれている。

アートに注目する企業

 芸術やアートの重要性は「人」の育成の観点からも見直されている。教育の分野でSTEM(科学、技術、工学、数学)教育にクリエイティビティを発揮する土壌となるアートを加えたSTEM+A(アート)が提唱されているのを耳にしたことがある人は少なくないだろう。
 学生だけでなく、企業もアートに注目する。社員にアートを学ばせてイノベーションの土壌づくりに取り組む。
 アクセンチュアでは芸術部を創設した。アーティストと交流し、彼らの思考を学ぶ。マッキンゼーは新人研修で絵画研修を実施、アップルも研修にアートを活用している。イェール大学ビジネスリーダー育成プログラムやメディカルスクールでは絵画鑑賞が必須項目になっている。オフィスにアートを導入し、社員のモチベーションを喚起し、組織の活性化につなげる動きもある。
 アートの活用領域は広がり、企業にとっても競争力を生み出すのに欠かせない存在になりつつある。

文化を生み、育てる視点を

 日本はこれまでクールジャパン政策で日本文化を海外に発信し、ソフトの輸出やファンをつくることでインバウンド需要に結びつけてきた。
 取組が奏功し、文化が経済成長のエンジンになる認識は広まりつつある。「クールジャパン」の響きに私たちが真新しさを感じないのも、ソフトパワーの力を多くの人が理解したことの裏返しでもある。ただ、一方で文化を生み、育てるという視点は必ずしも十分でなかった。
 日本国内のアートへの関心は決して高くない。アートの世界市場は約7兆円だが、日本の市場規模は約2580億円で全体の4%にも満たない。アートに対するひとり当たりの年間投資額は1766円で英国の約10分の1、米国の約5分の1にとどまっている。ひとり当たり文化GDPも米英の3分の1以下なのが現実だ。
 指標を見る限り、アート産業全体で世界の趨勢から取り残されているのが日本の現在地と言っても過言ではない。

国民1人あたり文化GDP(USドル)
(出所)文化庁「令和元年度文化芸術の経済的・社会的影響の数値評価に向けた調査研究」を元に一般社団法人芸術と創造作成

 経産省クールジャパン政策課の入江奨課長補佐は「日本産コンテンツの輸出だけでなく、海外需要で獲得した収益の一部を国内の文化創造に還元する。未来の海外需要獲得の文化資源(ジャパン・クール)を創り出すため、文化と経済の好循環を構築する必要がある」と語る。
 コンテンツ産業をグローバル市場に拡大するだけでなく、国内に好循環つくる。正の循環が生まれれば、クリエイターなど関連人材の裾野も広がる。AIなどテクノロジーの高度化による産業構造の変化が起きても、代替が難しい雇用の創出にもつながる。
 文化創造を支援する政策は周辺産業の活性化にもなる。経済学者のデヴィッド・スロスビーによると文化産業は同心円に広がる。アートや音楽が同心円の中心にあり、中心が大きくなれば、その外側にある映画や出版などのコンテンツ、さらに外縁にある観光、ファッション、デザインにも波及するし、文化は地域スポーツや教育のあり方とも関係してくる。

スロスビーによる同心円モデル
(出所)David Throsby「The concentric circles model of the cultural industries」を元に一般社団法人芸術と創造作成

 それでは、そうした仕組みをどのようにして創出するのか。次回以降で詳細を見ていく。