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チャレナジー代表取締役CEO 清水敦史氏 「なぜ僕は『羽根のない風車』に挑むのか」

 エジソンに憧れた少年がたどり着いたのは再生可能エネルギーの世界だった。東日本大震災で人生を見つめ直し、「プロペラのない風力発電機」を発明。100年以上私たちに染みついていた「風車」の常識を覆した。今夏には量産機の販売を始めるが、それは夢の第一歩に過ぎない。終着点は水素立国の実現だ。清水敦史、42歳。革命児となるか、はたまたドンキホーテとなるのか。

 ―国内外からの離島から問い合わせが増えているようですね。

 「世界中のどこの『島』も電力問題を抱えています。離島は電力系統を結ぶのが難しく、燃料の輸送費などで発電コストが割り増しになってしまうからです。島こそ再生可能エネルギーが求められていますが、ハードルは低くありません。太陽光発電やプロペラ式風力発電は設置できる敷地が限られますし、島ならではの乱流や台風で壊れてしまうことも多いのです」

 「私たちの風力発電機はプロペラの代わりに2つの円筒を設置しており、『マグナス効果』を利用して発電します。回転する円筒が流体の中に置かれると、その流れに対して垂直に生じる力です。ゴルフボールがスライスするのもこの効果によります。2本の円筒を回転させるとマグナス効果により風車全体が回転する仕組みです。プロペラがないので暴走しにくく、円筒の回転を制御することで、風速40メートルの強風まで発電を続けられます」

 「私たちはこれまで企業の出資や補助金で事業を進めてきましたが、商用機の販売に乗り出します。今夏にフィリピンで稼働するのが量産一号機になります。フィリピンは経済発展に伴い電力需要が高まっていますが、発電コストが高止まりしています。7000の島から構成されていて台風も多い。市場のポテンシャルは高いはずです」

チャレナジーが開発した風力発電機

 ―プロペラのない風車を思いついた経緯を教えて下さい。

 「2011年3月の東日本大震災がきっかけです。大阪に住んでいましたので直接の被害はありませんでしたが、福島第一原発の事故を映像で目の当たりにして衝撃を受けました。『僕たちの世代には日本のエネルギー問題を解決する責務がある。原発に頼らない発電システムを実現しなければ』と」

 「当時は、FA機器メーカーで商品開発に従事していました。発電とは無縁の生活を送っていましたし、母子家庭で苦学して大学に編入して就職したので、起業したいなどそれまで思ったこともありません。衝動に駆られたといっていいでしょう」

 「私の中では正直、再エネ=太陽光という認識でしたが、再エネの入門本を買って読むと風力発電の方がポテンシャルが高いと書いてありました。一方で、日本は台風が多いなど、風力発電に適した自然環境ではないとありました。それならば日本の環境に合う風力発電機をつくればいいじゃないかと考えました」

 「英ダイソンが羽のない扇風機を市場に送り出し、話題を呼んでいた頃です。『羽のない風力発電機はどうかな。和製ジェームズ・ダイソンになれるかも』と考え、仕事終わりや休日に研究し、辿り着いたのが垂直軸型とマグナス式を組み合わせた風力発電でした。風力発電に関する特許を片っ端から調べると、僕が考えたような垂直軸型マグナス式で出願中の特許が2件(三菱重工業、関西電力)ありました。『すでに大手企業がやろうとしているのか』と失望する人もいるでしょうが、僕はむしろ『これはいけるな』と思いました。偉大な発見や発明は、同時期に同じような仕組みを考えている人が多いのは歴史が証明しています。会社勤めの傍ら特許を申請したり、自宅で実験したり、寝食も忘れて没頭しました」

 ―実験も成功し、特許も認められました。とはいえ、起業するには勇気も必要だったのでは。

 「社会を変えたいという信念が動機ではありましたが、自分自身が楽しかったのが大きいですね。僕は小さい頃、エジソンに憧れていて、自分で筏やツリーハウスを作って遊んでいたほどなので、もう一度夢を追いかけだしたというか。とはいえ、もちろん、悩みました。実は、最後に背中を押したのは年齢です。当時は『35歳転職限界説』がまことしやかに囁かれていて、『このまま35歳になったら身動きが取れなくなる』と焦りがありました。2013年に念願の特許を取得した直後34歳の誕生日に退職を決断しました。ですから、今振り返ると、いろいろな条件が重なったともいえますね」

 ―その後はビジネスコンテストで優勝もして、NEDOの起業家支援制度にも採択されました。2014年10月に会社も設立して順風満帆でしたね。

 「そこまでは順調でした。暗転したのは会社を設立してから2ヶ月後の年末です。発電効率をコンピューターシミュレーションしてもらったのですが、結果に言葉を失いました。一般の風力発電が効率30%程度、垂直型マグナス式風車も20%は出るだろうと私は試算していましたが結果は0.1%。グラフの数字が0.1だったので『10%か。思ったより低いけど何とかなるかな』と思いましたが、よく聞くと0.1『%』だった。通常の300分の1ですからね。あれほど沈んだ年末年始はありません」

 ―それでも、諦めませんでした。

 「『上場して成功したい』が起業の動機でしたら、投げ出していたでしょうね。『エネルギー問題をどうにかしたい』、『純粋に開発が楽しい』という思いが原動力だったから続けられたんです。翌年の6月にNEDOの中間審査が予定されていて、それまでに結果を出さなければ、支援は打ち切りです。それならば、半年間でどれだけ改善できるかに挑戦しよう、という気持ちでした」

 「そこから寝食を忘れて開発に没頭し、5月の時点で0.2%。2倍になりました。正直、0.1%が0.2%になったところで、目標にはほど遠いのですが、当時は妙な達成感があったのを覚えています。『私が達成できなくとも、これはいつか誰かが成し遂げるための捨身なのだ』という悟りの境地とでも言いましょうか。歴史上の発見や科学の進歩は名もなき人たちの努力の積み重ねですからね」

 「ブレイクスルーは偶然の発見でした。円筒の周囲の風の流れ方を感じてみようと、何気なく円筒に手を近づけると、マグナス力を測定していたトルク計の値が大きく振れたんです。見間違いかなと思って、何度か繰り返してみましたが、トルク計は同じ動きを示しました。その瞬間、円筒に物体を近づけるとマグナス力を制御できることに気づきました。この発見をもとに、円筒の後ろに板をつけるというアイデアが生まれ、6月に再びコンピューターシミュレーションしたところ、発電効率が目標にしていた30%まで一気に高まりました」

円筒に物体を近づけるとマグナス力を制御できることを発見

 ―偶然を見逃さず、掴み取る姿勢が重要ですね。

 「そうですね。多くの発見や発明も偶然から生まれ、理論は後付けです。流体中で円筒を回転させると力が生じるというマグナス効果は流体力学の教科書に必ず載っていますが、円筒に物体を近づけるとマグナス効果がなくなるという『清水効果』は、教科書には載っていません。常識にとらわれて、頭で考えていただけではたどり着けなかったと思います」

 「『チャンスは誰にでも訪れる』とよく言います。その通りです。ただ、目の前にあるチャンスですら、手を近づけなくては気づけないのです。そして、手を近づけてみようと思いつくのは、日々没頭し努力した者だけです。チャンスとは、執念によって掴み取った偶然であり、チャンスを掴み取った者にとっては必然の結果なのです」

 ―震災から10年。エネルギーシフトを掲げた使命感は変わりませんか。

 「変わりません。僕の中には、風力発電を利用して世界中の島を水素の供給源にすることで水素社会を実現するという夢があります。島には資源がないと思われていますが、実際には風と海水という無尽蔵の資源があります。風力発電で発電した電気で水を分解し、水素を製造すれば、エネルギーの自給自足はもちろん、輸出もできるようになります。その一翼を僕たちが担っていきたいです」

 「日本自体が大きな『島国』です。このモデルが広まれば、水素の利用技術とともに水素そのものを輸出する『水素立国』の実現も夢ではありません。もちろん、10年、20年でできる話ではありません。夢物語に聞こえるかもしれません。でも、夢を実現するにはまず夢を語らなければ始まりません。ですから、僕は言い続けます。誰にどう思われようと、言い続けます。言い続けることが実現への一歩ですから」