政策特集モビリティDX vol.1

新“クルマ像”。SDVが作る世界。日本の自動車産業にもたらす変化とは?

モノづくりの先端を歩んできた自動車業界で地殻変動が起きている。燃費向上や電気自動車(EV)といった車を動かす技術の話にとどまらず、自動車そのものの概念を変える可能性もある。通信機能を備え、自動車を操作するソフトウェア(基本ソフト)を随時アップデートして利用者に新たな体験・空間を提供し続ける「SDV(Software Defined Vehicle)」の存在だ。経済産業省は2030年に日本勢がSDVの世界シェア(市場占有率)を3割にする目標を掲げる。新たな領域への挑戦を追った。

新興勢が席巻。求められる新しい視点

ホンダの三部敏宏社長「変化のスピードが加速していく中、ハードウェア(車体)中心の進化では追いつくことはできない」

日産自動車の内田誠社長「素晴らしい技術があっても、事業化のタイミングが市場のニーズに合わなければ、ビジネスにつながらない。やはりスピードだ」

8月1日、SDVの要素技術の共同研究で合意した日産、ホンダの両トップは、約1時間の記者会見で約20回にわたり、「スピード」「時間軸」という言葉を繰り返した。急速に進む自動車業界の変化に対する危機感が伝わってくる内容だった。日産とホンダの両トップが戦略提携に向けて検討入りを表明したのは、今年3月中旬。4ヶ月あまりで、SDVの要素技術の共同研究の合意、さらには、三菱自動車の協業検討の枠組みへの参加が決まった。これに対して、齋藤健経済産業大臣は「自動車産業をとりまく競争環境が大きく変化する中、我が国の自動車会社が前向きにチャレンジしていくこと、国際競争を勝ち抜いていくことを大いに期待している」と述べた。

SDVとは?

SDVは、スマートフォンのようにソフトウェアを更新し、運転支援機能やエンターテイメントといった娯楽性など様々な機能を随時アップデートし、利用者にサービスを提供していく世界だ。米フォードが1908年に量産車「T型フォード」の生産を始めて100年余り。乗り心地やエンジンの改良を経ながら移動手段として多くの人の生活を豊かにしてきた車は、今、生活そのものを豊かにするツールとして新しい「クルマ」像を求められている。

SDVは、車両そのものの企画・設計の在り方を変える可能性もある。従来の自動車は、アクセルやブレーキといった「走る」「曲がる」「止まる」といった駆動制御のほか、窓の開け閉めを行うパワーウィンドウ、そしてオーディオなどの「インフォテイメント」※を、それぞれ別々に制御してきた。SDVの世界は、これらの機器を一体的に制御することで、より安全性の高い運転支援・自動運転機能やより快適な空間演出を実現する。ハンドルを握り、ペダルを操作し、自動車整備工場でメンテナンスしてきた世界が、欠陥や不具合もソフトウェアのアップデートで対応できるようになり、加速やハンドル操作といった“乗り味”も個人の好みで仕立てることができるようになる。将来的には、フリック(指操作)一つで移動する車となり居住空間となる時代へと変わろうとしている。

日産のエンジニアでSDVの開発担当者である吉澤隆常務は、SDVを「従来の常識だけでは通用しないクルマ」と、位置付ける。

電力を制御する技術的な親和性の高さから、EVで先行する海外メーカーがSDVの分野でも先行する。その代表格が米国のテスラだ。駆動の制御技術に、運転支援システムを結びつけ、随時その性能をアップデートしている。常に最新の運転支援システムを取り入れたい利用者へOSを提供するサブスクリプション(定期更新)型のビジネスモデルは、売り切り、買い替えの車業界に変化をもたらしている。

テスラでは、運転支援だけでなく、動画視聴やインターネット接続など快適な車内空間サービスも提供する。人間による運転を念頭に置いてきた従来の車両開発とは全く違うアプローチを、テスラは車業界に持ち込んだ。吉澤氏は、「テスラは、ベストプラクティス的な存在であり、追い越したい存在。車を売って、保守・メンテナンスするビジネススタイルから、継続的に価値を提供し続けるビジネスに変わっていかなければいけない」と語る。

※「インフォメーション(情報)」と「エンターテイメント(娯楽)」を組み合わせた造語

日本勢も、移動手段から生活ツールへ

日本勢も追随を急ぐ。ホンダは2022年、ソニーグループとEVの合弁会社「ソニー・ホンダモビリティ」を設立した。ホンダ出身で同社の岡部宏二郎専務は設立から2年を経て、「従来の車は『移動する』という単機能だったが、多機能化していく。設計も企画も従来のアプローチ自体が違う。今の開発環境では長くやってきた自動車業界の常識も否定されるようなこともあった」と明かす。車載センサーやソフトウェアに強みを持つソニーと、車の安全技術を培ってきたホンダが組む異業種連携。車のSDV化は、「自由に移動できる価値に加えて、よりライフスタイルに入り込んだ価値提供を広げられる可能性があり、ワクワクする」(岡部氏)という。

今年1月の米CESで最新のAFEELAプロトタイプを初公開するソニー・ホンダモビリティの川西泉社長(ソニー・ホンダ提供)

ソニー・ホンダは今年1月、初の量産モデルとなる「アフィーラ」ブランドのEVの受注を来年から始め、26年の納車を目指していることを明らかにした。マイクロソフトの技術支援を得て開発した対話型AI(人工知能)システムを搭載し、社内で映画や音楽などエンターテイメントを楽しめる空間を作り出す。岡部氏は、「我々は後発。(SDV分野で先行する)テスラをマネしても仕方がない。異業種の連携だからこそチャレンジできる、新しい仕組みを世に提案していくことで別の価値を出していきたい」と、狙いを明かす。

日本勢逆転のカギは、協調と競争

自動車に対する価値観が変わる今、カギを握るのが、協調と競争の見極めだ。

日本政府は、ソフトウェアの定期的なアップデートを前提としたSDV車両が2030年にグローバルで最大4100万台程度に達すると見込んでおり、日本勢のシェアを3割に相当する約1100万~1200万台としたい計画だ。安全性や燃費を競って大手メーカーのすり合わせ技術が競争の主要舞台だった従来の世界は様相がかわる。

SDV化による中央制御で多機能化を求めるニーズにどう対応するのか、アイデア、発想力が問われている。

「協調領域を見極め、企業の枠を超えて要素技術の開発や協調基盤の整備を早急に進めて開発のスピードを上げることこそが勝負になる」。こう語るのは、経済産業省の伊吹英明・製造産業局長。

代表例は車載用半導体の開発だ。車外とつながり、膨大なデータを高速処理しながら安全に走行することを可能とするため、SDV対応した車載用半導体が競争力を握る。昨年12月にトヨタ自動車やホンダなどの自動車メーカーに、デンソーやルネサスエレクトロニクスなども加わった日本勢14社が参画して「自動車用先端SoC技術研究組合」(ASRA)を設立した。競合から協調という大きな一歩を踏み出した形だ。各社が人材を出し合い、より高度な演算技術が可能になる半導体の開発を目指す。安全運転はもちろん、車の電子制御において不可欠な司令塔である半導体をオールジャパンで作る。

経済産業省と国土交通省は、本年5月にSDVを始めとする自動車分野のDXにおける国際競争を勝ち抜くべく、「モビリティDX戦略」を策定した。モビリティDX戦略では、半導体だけでなくAIやセキュリティーのほか、自動車の効率的な開発に必要なシミュレーション環境の構築などを協調領域と定めた。伊吹氏は、「自動車はすそ野の広い産業だが、SDVではまったく異なる技術と発想力が求められる。IT企業や高い技術力と柔軟なビジネスアイデアを持つスタートアップなど、これまでにないプレイヤーを取り込むべくオープンな開発環境を構築することも大事になってくる」とみている。

ソニー・ホンダが開発中のAFEELA(同社提供)

現状では、テスラなどEV開発に注力する新規参入組が先行している。SDV分野においてテスラ逆転を目指す、日産の吉澤氏は、「車メーカーだからこそ、運転者の癖や走行データなどを踏まえたサービスができるはずだ。サービスの性能差で勝敗が決まるようになれば、従来の車メーカーの信頼度が生きてくる」と、日本勢の勝ち筋をみる。

日本ではSDVに不可欠なソフトウェア人材も2025年時点で2万人以上不足するとみられている。世界でトップのシェアを作り上げてきた日本勢にとって、既成概念を取り払った新しい視座で挑戦できるか、総力戦の真価が問われる。